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ミュージカル『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』感想~物語の効用、もしくはポスト・トゥルースと父と息子の物語~

大学路ミュージカルフェスで無料配信してくれた『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』があまりに良かったのでとりとめなく感想など…

大学路のミュージカルフェスと言えば去年は『星の王子様』とかもやっており、なんなら過去にはあの『ブラザーズ・カラマーゾフ』も配信してくれたらしいというありがた~いフェスなんですが、今年も6本しっかり配信してくれています。今回の『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』は、初日16日に配信したミュージカルで、シェイクスピア贋作事件、所謂「アイアランド贋作事件」に取材した作品なんですが、2023年初演(?)らしい出来立てほやほやの新作の模様。3月初演で既に10月から再演してるようで、結構人気なのかな…??私はめちゃくちゃお気に召しました。男性三人のめちゃコンパクトミュージカルで、小劇場でやる良さが上手く引き出された作品な感じです。

とまあ、作品概要はそこそこにしつつ、以下感想になります!

(余談も余談ですが、私無料配信が9月の16~始まると完全に誤解してて、9月にわっくわくでスタンバイしてたんですよ…しかし10月からだったので約1ヶ月行き場のないミュージカルへの熱量だけが高まってしまい大変だった…いやでも9月16~18は土日月で、10月は月火水なんだよ…9月だと思いません??私は思いました)

 

父と息子、もしくは物語と真実の関係 

最初に断っておきたいんですが、私はそもそも父と息子の話が大好きかつ、「物語」とはなにかの話も好き、狂言回しが出る話が好きでなんならその狂言回しがセクシーお兄さんなら大満足って感じの人間なので、このミュージカルは欲張り三点セットみたいなもんだったんですよ(狂言回しセクシーお兄さんはドがつくセクシーでした!)あと、曲も最高に好きだし、これはまあ韓ミュは安定の信頼感なんですが歌がハチャメチャに上手い。満足すぎる。

実際の「アイアランド贋作事件」と結構違うのは、『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』は父(サミュエル)と息子(ヘンリー)にフォーカスした話なので、実際の事件では専ら贋作に関わらずむしろ被害者と最近は言われてるらしいサミュエルを、割と明確に名誉欲と金銭欲から息子と息子の嘘に目をそらし続けた人間として描いてたことかと思います…『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』は、息子を省みない父と愛する父に振り向いてほしい一心で嘘をつく息子の話なので、このあたりの描き方はめちゃくちゃ親子の関係に集中してました。そういう話でいうとこのミュージカルの主題は向き合えない父と息子の話であり、二人の共通点である「物語」とはなんなのか、そしてその最高峰にいるウィリアム・シェイクスピアを巡る真実と嘘について、みたいな感じだと思われます。

 

主人公なんですが、実際の事件より多分間違いなく幼い設定になってます。父に愛されたい多感な時期の感受性豊かな少年で、父からは空気のように生きろと望まれ、父が望む人間になりたいけれどもそうは生きられないことを知っているので全体的に自己肯定感の低い少年って感じ。学校をいくつか放校されてるみたいで、その理由が想像力が豊かであんまり勉学が手につかない、みたいな感じなのでこのあたり、父親の作家的素質を十二分に引き継いでます。本人は父を愛してるのに、父は全く息子を省みないので本当にしんどい主人公…そういう理不尽な報われなさが事件に発展していくので、マジで心にくるよ…

ヘンリーがたまたま模写したシェイクスピアソネットを父が見つけて真作だと思い込むところから事件は始まるわけですが、当初模写だと申し開きしようとしてるヘンリーの言うことを全然聞いてない父のあまりの喜びように、嘘をつくことに決めてしまい、架空のH氏なる人物を創作して雪だるま状に嘘が膨れ上がるヘンリー、可哀想すぎる。しかもH氏なる人物があまりに自分にとって都合のよい理想的な人間すぎて、父からの承認と他者からの関心に餓えたドツボにはまっていくわけです…ヘンリーは捨てられたもの、もう誰からも省みられないものにこそ価値を見出だす、誰に省みられなくてもすべてのものには物語がある、という信念を持った優しい感受性の少年なんですよね。それが父に対してついた嘘のせいでH氏の指導のもと(?)シェイクスピアの贋作を次々と作り上げ、その事に罪悪感を持ちつつもやめることも出来ず、最終的に自分が大切にしてたはずの小さなもの達の物語を見つけることが出来なくなって初めて立ち止まることが出切るんですが、子どもが背負っていい業の深さではない…悲しい。ヘンリーは結局、罪を告白して元の自分、ちっぽけで人に期待されない自分に戻ることに決めるのですが、昔の自分、ありのままの自分を認めてそうやって生きていくというのは、父との決別を意味するわけでもあるんですね。ヘンリーは最終的に、自分自身と自分が大切にする物語を選び、父に期待することを止め、父から旅立っていく、というので物語は終わりを迎えますが、このあたりどれだけ愛した家族でも永遠に期待し続けることは出来ず離れていく決断が時には自分を救うことになるっていうシビアな救いの物語でもある。そういう点でこれは父と息子の決別の物語でもあり、一人の作家が父の呪縛から離れて自らの「物語」の価値を見出だす、創作論の話でした。「物語」は嘘でちっぽけで、何にもならないけど、それが誰かにとって大切なものにもなりうるっていう「作られたもの」一般に対する普遍的な価値観、めちゃくちゃ私は好きなんですよ…下らなくてもたった一人の誰かを救える物語があるっていうの、物語を愛する人間にとって最高の賛歌じゃないですか??

んでまあ、このミュは主人公ヘンリーが自らの物語を見つけて旅立つ一方で、同じように自らの物語を信じたがゆえにどこにも行けなくなった父、サミュエルの物語がセットなんだよね。多分かつては息子のようにペンの力を信じ、物語を愛した父サミュエルは、いつのまにか世間からの報われなさや承認欲求、名誉欲に囚われて自分を見失って真実からも目を背けてるわけですが、サミュエルは最後まで自分が「信じたかった物語」から覚めることが出来ず、真実も息子も失う訳ですよ…サミュエルという人物、正に「人は信じたいものを信じる」っていうポスト・トゥルースを体現する人物なんですわ。見るべきものから目をそらし、自分がシェイクスピアの何を尊敬して目指したのかもわからなくなって、最後には息子も結局名誉すら失う、永遠に偽の「物語」から出てこられなくなったサミュエルは、息子ヘンリーと表裏一体のもう一人の主人公でもあり、物語の功罪を体現するキャラクターな感じもします。ところでサミュエル役の원종환さん、めちゃくちゃ歌うまいしコミカルだしアクもつよいし、この三日ほど前に配信で見た『インサイド・ウィリアム』ではシェイクスピア本人役をやってらしたんですが、もしやこれがシェイクスピア俳優というやつ!?!(違う)。良い役者さんすぎます…次は『ブラザーズ・カラマーゾフ』のフョードル・カラマーゾフなどはいかがでしょう!?!

んでさ~!!それでなんだけどさ~!ちょっと聞いてほしいんですけど!?!H氏何?!どセクシーお兄さん過ぎませんかねえ~!?どないなっとんねん!!H氏はこのミュ全体の狂言回し的位置におり、ある時はストーリーテラー、ある時は裁判官に街の噂好きの誰か、そしてヘンリーの理想的な理解者H氏になるわけですが、まずもって김지철さんの演じ分けがすごい。H氏というのは、作家の理解者、メフィストフェレスでもあり、人間のなか全てに存在する欲望、欲求の具現化みたいなものっぽいので、まあ舞台のありとあらゆる場所にいるのですが、その場その場の김지철さんのキャラクターの振り分け方があまりにうますぎて舌巻きますよ。あと欲望の擬人化だからなんですかね??めちゃくちゃ胡散臭いときも理想の紳士の時も品作っとる時も基本的に大変えっち…セクシーすぎてこんなドえっちお兄さんに振り回されて(??)ヘンリーの情操教育大丈夫?!(大丈夫じゃない)って感じ。ビックリした。

H氏はその場その場でその人が一番言ってほしいこと、望むものを与えてくれる人物ですが、それが人間をめちゃくちゃにしてしまい、時には脅し、最後には嘲笑して去っていく酷薄なメフィストで、ヘンリーは最後の最後に彼を振りきって自分を取り戻し、サミュエルは多分最後までその魅力に抗えず閉じた世界に籠ってしまう、という感じでした。私は登場人物のメフィスト的というか、宿命的なキャラクターがめちゃくちゃ好きなんですけどH氏、あまりにメフィストとして百点満点すぎる。ヘンリーに対しても彼に顔を向けてる時は優しい魅力的な表情なのに、ヘンリーが見てない時はめちゃくちゃ冷たい顔見せてる時が割とあって、あー!!悪魔的すぎる!!最高!!(??)ってなります。人間は信じたいものしか信じないので、悪魔が冷たい顔を向けてる時は、正に見てない訳ですね。김지철さん、悪魔としての抗いがたい魅力と説得力が満ち溢れていて、ヤバすぎました。それはそうと作家がペンを握った時、必ずイマジナリーどセクシーお兄さんが現れて望めば生涯側に居てくれるって、凄すぎんか??因果な職業だな…あと、김지철さん、『ブラザーズ・カラマーゾフ』のost1のアリョーシャなんですよね…ost2のアリョーシャ김준영さんも『DEVIL』の続編でBLACKやってるらしいですが、アリョーシャ達、あんな聖職者の清廉さに溢れてたのに悪魔にもなれるんですか??才能が怖い…

 

とまあ、あれこれ感想(?)を吐き出してきましたが、やはり全体的に創作とは、というテーマをかなり突き詰めてよく考えたミュだったと思います…アプローチはそれぞれですが、『インサイド・ウィリアム』しかり水曜に配信した『蘭雪』しかりなんですが、めちゃくちゃ「ものをつくる」ということに対して向き合ったミュ、多いですね…すごいことだ…

あと、『ウィリアムとウィリアムのウィリアムたち』は、小劇場作品の良さというか、コンパクトな劇場にセットをギチッと詰めて、最少人数で回す劇の良さがありました。特に舞台セットが簡素ながら良くできてて、ある時は劇場になりある時はヘンリーの部屋、野外にもなるという照明と緞帳、わずかなセットで様々な場所に行ける没入感も良かった気がします。その良さの続きというか、作品冒頭のH氏の口上のあと、ヘンリーとサミュエルが自己紹介するんですが、「ヘンリー役」、「サミュエル役」って言ってるんですね。最初訳出ミスなのかと思ったんですが、最後にヘンリーがフランスにいるとこで、「~っていう終わり方は?」(ヘンリー)「それはどうかな」(H氏)、みたいなやり取りがあり、エンドロールで三人が物語の真実性、みたいな話に触れて終わるって構造なので、最後に初めて、このミュージカル自体が劇中劇みたいになってたことがわかるんですよ…え~、めっちゃ面白くない?!ってなりました。最初のH氏の口上と最後の三人の曲にちゃんと幕があるので、「アイアランド贋作事件」の劇だったんだ!ってのがわかる構造になってるんですな…上手いわ…劇の題材が「シェイクスピアの贋作事件」ってのも、演劇界にシェイクスピアが与える影響力の大きさみたいなものがわかりやすくて良かったです。正に、「シェイクスピアの真作か、それとも贋作なのか…それが問題だ!」ですね。